「パニック・裸の王様」開高健著

画像この本を手に取るのは正味25年ぶりだった。25年ぶりに読んでみて、先入観コミの印象とは今回はずいぶん読後感が異なっていた。

ふつう、著者の開高健氏といえばどんなイメージが湧くであろうか。もう亡くなって20年近く経つしそんなん知らん、という大部分の意見を除外すると、亡くなる前のエッセイ集やルポやテレビ番組の姿などから判断して、オーパ!な趣味人やグラスの縁を回っている美食家のでっぷり太った快楽主義者なイメージが支配的なんじゃないか。

本書はそんな(どんな?)著者の芥川賞受賞作を含む初期の短編集である。初読だった高校生の頃の当Weblog運営者は上記のような先行イメージもあって、読後感としてはやたらエネルギーに満ち溢れたモチーフとテキストであるなあ、といったものであった。

しかし今回さくっと再読してみて、あふれるエネルギーを裏打ちする絶望的なまでの徒労感が文面から伝わってきた。

その理由は本じたいが四半世紀の経年変化で黄ばんでくたびれていることのみが原因ではあるまい。(←ここいちおうボケてます)

収録された4編のモチーフを列記すると、
・パニック:ネズミの大発生に対応できない人類
・巨人の玩具:勝者無き菓子業界の競争
・裸の王様:商業に踊らされる子供絵画
・流亡記:搾取される古代中国民衆の救いの無さ

・・・あらためて列記して脱力するほどの徒労感に襲われてしまった。どんだけ疲れる内容やねん。自分的な白眉は"流亡記"である。黄土以外なにも無い田舎の集落で搾取され続ける主人公の何の余剰も無い一生が綴られて、きのう読んで寝たら悪夢にうなされたよ。

まとめると、いっけん「元気が出る」短編集に見えてじつは「元気はある」短編集。
もしくは、若いって字は苦いって字に似ているのね。


(昭和35年発行・昭和59年購入、新潮文庫)

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