「ジャズと爆弾」中上健次VS村上龍

画像今は亡き中上健次と、デビューしたばかりの村上龍との対談集である。

何十年か生きていると、過去に買った文庫本を見返して、いったいその本を自分がどういう動機で買ってどういう読後感を持ったか、ほとんど憶えてない本っていうのも出てくる。

まぁこの本がそれに該当するわけです。

中上健次はその頃も今も、情念が強くて地縁血縁にこだわっていてあまり読む気のしない作品群だし(筆者の先入観なので違っていてもクレームは受け付けない)、村上龍は今まででいちばん好きな『コインロッカー・ベイビーズ』も当時はまだ文庫化されてなくて読んでなかった。

奥付の日付を見るとその頃の自分は邪念と付き合いつつ日々のカリキュラムを消化する大学受験生で、なんか異端児っぽいふたりによる、タイトルの爆弾っぽい談論風発によって刺激を受けようという意図で読んだんだったかもしれん。

で結果、いまさらっと読み返してみても思うのは、クスリとかフーテンとか乱交とか、本書で言及されたそーいうインモラルな風俗とは関わらないで過ごしてしまうおそらく大多数に属してしまうであろう自身の小市民性に対する再認識である。

そもそも本書で二人が述べているような、自身の内に飼っている自身で制御できない怪物だとか、ジャズや文学でしか昇華できない情動とか、縁が無いものな。

逆に言えば、なんとか世間と折り合いを付けているわれわれ小市民(折り合い付いてない気もするけれど)の分まで異端な部分を補完してくれる「本質的な作家」に対する憧憬の念を与えてくれるのが本書である。

でも、実生活で得られない類のそういう補完的なカタルシスを味わうなら、本来は対談集じゃなくって小説を読まなきゃね。

村上龍作品をその後いくつかは追いかけてきた自分としては、本書以後の作品への示唆が見えるコメントが散見されますので、そこはディープなファンならフィードバックしたいかも。

(昭和57年発行・購入、角川文庫)





まぁ、あれだ、こんなどうでもいいゴタク記事を閲覧された方へのサービスっていうか、チョサッケンとか肖像権はスルーして、本書に載っている当時の著者近影を転載だー

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