「空港にて」村上龍著

画像あとがきにも書かれているように、冒頭の3篇は幻冬舎の留学情報雑誌に書かれたものである。雑誌の性格上、作品は“留学”を題材に含んでいて、しかも留学に希望を持てるようなものが求められる。そんな厳しい条件に対して、名手村上龍さんがどう応えたかを知るだけでも、本書の価値はある。
で、どんな方法を取ったかと言うと、

↑ここまでがトップページに引用されるので、"引き"を意識してみました。

村上龍さんが凄いのは、その3篇のタイトル「コンビニにて」「居酒屋にて」「公園にて」を見れば分かるように、まず舞台として現代日本のほんとありふれた場所を選んでいる。

さらに手法として、情景描写を細かくすることによって作中の経過時間を極端に遅くし、なんでもない日常の数秒とか数分とかを標本のように凝固させている。

一部を抜き出してふいんきの分かる類の作品ではないけれど、という逃げ口上を付して、巻頭作「コンビニにて」の冒頭を引用してみよう:

 ざっと見回したところ店の中にはぼくの他に客が七人いた。一人は老人で、一人はぼくと同年代の眼鏡をかけた学生っぽい男、三人目と四人目は作業服を着たおじさんで、五人目と六人目は近所に住む主婦で、最後の一人はランドセルを背負った小学生の子どもだった。小学生はサンドイッチを手にとって眺めている。片方の手に卵サンドを、もう片方の手にはツナサンドを持っていた。ぼくは、レジのカウンターの横に置かれた四角いおでん鍋と肉まんとあんまんの入ったガラスケースを通り過ぎ、蛍光灯に照らされた生鮮食料品のコーナーに向かって歩いているところだ。

このあと店内の描写と7人の客の描写が少しずつ時間をずらしながら続き、その間に語り手である"ぼく"が留学を志すに至った経過が内面描写として語られる。

これだけだとなんだかみみっちく読みにくい作品みたいで、じっさい普通はそうなってしまうところが、観察眼とテキストのリズムが尋常ではなく、結果として、書かれた日常のどうしようもないくだらなさが浮き彫りにされて、こりゃあ留学でもしないと打開できないよなあ、という気分になる。

もちろん、現実には、留学が必ずしも希望に満ちていて、日本がダメで海外が良いなんて二分法で割り切れることは絶対に無い。日本も海外も、希望と絶望がごちゃまぜミクスピザうまくてまずかった、である。

でも、身辺が閉塞している読者にとっては、留学が魅力的に思えてくるだろうなあ、とプロの小説家の語り口に乗せられる作品、ってことで。


(平成17年発行・平成21年購入、文春文庫)

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